歴代天皇一覧と平安時代の家系図|桓武天皇から安徳天皇まで図解で解説

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歴代天皇一覧と平安時代の家系図|桓武天皇から安徳天皇まで図解で解説

この記事で分かること

  • 平安時代の歴代天皇が、桓武天皇から安徳天皇まで一枚の家系図でわかる
  • 「歴代天皇一覧(代数つき)」と「家系図」の違いと使い分け
  • 藤原氏が天皇の外戚として栄えた、摂関政治のしくみ
  • 白河上皇が始めた院政と、平安末期の家系図(平氏との関わり)
  • 歴代天皇の家系図を自分で作る方法

平安時代は、桓武天皇の平安京遷都(794年)から、安徳天皇が壇ノ浦に沈むまでのおよそ四百年を指します。この四百年は血筋の観点で見ると、「桓武・嵯峨の直系」「藤原氏が外戚となった摂関政治」「白河上皇に始まる院政」という三つの時期にはっきり区切ることができます。天皇の名前を代数の順に覚えるより、この三区分と、どの天皇が誰の子で誰に嫁いだかを線でたどるほうが、平安時代の全体像はつかみやすくなります。

歴代天皇一覧と平安時代の家系図|桓武から安徳まで一目でわかる系図

まずは、平安時代の天皇を、親子の血筋に沿って簡易系図で見てみましょう。皇位は実際には兄弟やいとこのあいだでも受け継がれましたが、ここでは流れを追いやすいよう、皇位を伝えた直系の親子筋だけを抜き出し、一部の代は省いています。縦の実線は親子のつながり、横の二重線は婚姻を表します。

平安時代の歴代天皇 主要な系図
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平安京を開いた桓武天皇から、平安末期の安徳天皇までを、皇位を伝えた直系の親子筋でたどった系図。藤原彰子(一条天皇の中宮)や、平清盛の娘・徳子(高倉天皇の中宮)など天皇に嫁いだ女性も加え、外戚のからみが見えるようにしています(主要な天皇のみ・一部の代を省略。皇位継承の順番そのものではなく、親子のつながりを示しています)。括弧内は、初代・神武天皇から数えた伝統的な代数です。

家系図のかたちで大きな流れを追うと、平安時代は次の三つの時期に整理できます。

  • 平安の始まり(桓武天皇〜) — 桓武天皇が都を平安京(現在の京都)に移し、平安時代が始まります。嵯峨・仁明と皇位が受け継がれ、朝廷の体制が整っていきます。
  • 摂関政治の時代(一条天皇〜) — 藤原氏が娘を天皇に嫁がせ、生まれた皇子の母方の親戚(外戚)として権力を握ります。一条天皇の中宮・藤原彰子のように、家系図には藤原氏の女性が深く入り込みます。
  • 院政と平安の終わり(白河天皇〜安徳天皇) — 白河天皇が位を譲ったあとも上皇として政治を動かす院政を始め、やがて平清盛ら武士が台頭します。清盛の娘から生まれた安徳天皇の前後を境に、時代は平安から鎌倉へと移っていきます。

以下では、この系図を「歴代天皇一覧の見方」「平安の始まり」「摂関政治」「院政と平安末期」の順に、もう少しくわしく見ていきます。

歴代天皇とは|「一覧」と「家系図」の違い

歴代天皇一覧と平安時代の家系図|桓武天皇から安徳天皇まで図解

歴代天皇を整理する方法には、大きく二つあります。一覧(リスト)家系図(系図)です。同じ天皇の情報でも、見せ方によって分かることが変わります。

整理の方法 並べる軸 分かること
歴代天皇一覧 即位した順(代数) 何代目か、いつの時代か、在位の順番
家系図 血のつながり 誰の子・誰の孫か、親子や婚姻の関係

なお、初代とされる神武天皇から現在の今上天皇までの大きな流れは、天皇家の家系図でまとめています。ここでは、そのなかでも藤原氏が栄えた平安時代にしぼって、家系図でくわしく見ていきます。

平安時代の歴代天皇一覧|桓武天皇から安徳天皇まで

平安時代は、桓武天皇が平安京に都を移してから、平氏が滅びるまでのおよそ四百年を指します。この間の主な天皇を、代数の順に一覧にしました。

天皇 読み ひとこと
50 桓武天皇 かんむ 平安京に都を移し、平安時代を開いた
51 平城天皇 へいぜい 桓武天皇の子
52 嵯峨天皇 さが 桓武天皇の子。朝廷の制度を整えた
54 仁明天皇 にんみょう 嵯峨天皇の子
55 文徳天皇 もんとく 仁明天皇の子
56 清和天皇 せいわ 幼くして即位し、藤原良房が摂政となった。清和源氏の祖
58 光孝天皇 こうこう 仁明天皇の子。皇位が再びこの流れに戻った
59 宇多天皇 うだ 光孝天皇の子
60 醍醐天皇 だいご 「延喜の治」と呼ばれた
62 村上天皇 むらかみ 「天暦の治」と呼ばれた
64 円融天皇 えんゆう 村上天皇の子
66 一条天皇 いちじょう 中宮・定子と彰子。藤原道長の全盛期
68 後一条天皇 ごいちじょう 母は藤原彰子。道長が外祖父となった
69 後朱雀天皇 ごすざく 一条天皇と彰子の子
71 後三条天皇 ごさんじょう 藤原氏を外戚としない天皇。荘園の整理を進めた
72 白河天皇 しらかわ 位を譲ったあと、上皇として院政を始めた
73 堀河天皇 ほりかわ 白河天皇の子。白河上皇の院政のもとで在位した
74 鳥羽天皇 とば 白河上皇のあと、院政を受け継いだ
75 崇徳天皇 すとく 保元の乱に敗れ、讃岐へ移された
77 後白河天皇 ごしらかわ 保元・平治の乱を経て、長く院政を行った
80 高倉天皇 たかくら 中宮は平清盛の娘・徳子
81 安徳天皇 あんとく 母は平徳子。壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった

平安時代の始まり|桓武天皇と平安京

平安時代の家系図の起点となるのが、桓武天皇です。桓武天皇は、794年に都を平安京(現在の京都)へ移しました。この平安京を都とした、794年からおよそ四百年(およそ1185年ごろまで)続く時代が平安時代です。

桓武天皇の子である嵯峨天皇は、法律や儀式の制度を整え、朝廷の体制を固めました。家系図でたどると、このあとの平安時代の天皇は、基本的にこの桓武・嵯峨の流れを受け継いでいきます。

平安時代の家系図と摂関政治|藤原氏が外戚として栄えた

平安時代の家系図を理解するうえで欠かせないのが、藤原氏との婚姻です。藤原氏は、娘を天皇に嫁がせ、生まれた皇子が天皇になると、その母方の親戚(外戚)として大きな力を握りました。これを摂関政治といいます。

その頂点が、一条天皇のころに全盛期を迎えた藤原道長です。道長は娘の彰子を一条天皇の中宮とし、彰子が産んだ皇子が後一条天皇・後朱雀天皇として即位しました。家系図では、一条天皇と藤原彰子を二重線(婚姻)で結び、そこから後朱雀天皇へ実線(親子)が下りていきます。

続柄 人物(読み) 家系図でのつながり
天皇 一条天皇(いちじょう) 円融天皇の子
中宮 藤原彰子(しょうし) 藤原道長の娘。一条天皇に嫁いだ
後朱雀天皇(ごすざく) 一条天皇と彰子の子
外祖父 藤原道長(みちなが) 彰子の父。皇子の母方の祖父として権勢をきわめた

やがて、藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位すると、藤原氏中心の政治にも変化が訪れます。家系図の流れは、ここから院政の時代へと移っていきます。

院政と平安末期の家系図|白河上皇から安徳天皇まで

後三条天皇の子・白河天皇は、位を子に譲ったあとも、上皇(院)として政治の実権を握り続けました。これを院政といいます。天皇の位を退いた人物が、家系図では上の世代から実権を握るという、平安後期ならではのしくみです。

院政は、白河上皇から鳥羽上皇、後白河上皇へと受け継がれました。しかしこの時期、皇位や摂関の座をめぐる争いから、保元の乱・平治の乱が起こります。これらの戦いで力をつけたのが、武士である平清盛でした。

こうして家系図でたどると、平安時代は「桓武天皇の平安京遷都」に始まり、「藤原氏の摂関政治」「院政」を経て、「平氏とともに終わる」という、一本の大きな流れとして見えてきます。

歴代天皇・平安時代の家系図を自分で作る方法|標準的な関係線で再現

ここまで見てきたように、歴代天皇の家系図は、親子(実線)婚姻(二重線)が何代にもわたって続いていきます。代数を並べた一覧だけでは見えにくいつながりも、線で結んだ家系図にすると一気に分かりやすくなります。

家系図をきれいに描くコツは、関係ごとに線を引き分けることです。本サイトでは、系統図で広く使われる標準的な記法に沿って、次のように線を使い分けることをおすすめしています。

関係 線の種類 書き方のポイント
親子(実子) 実線 夫婦を結ぶ線の中点から、子へ下ろします
配偶者(婚姻) 二重線 夫婦を横に並べ、二重の横線で結びます
離婚(元配偶者) 二重斜線 配偶者の二重線に斜線を重ね、離婚を示します
養子 破線 実の親子(実線)と区別するため、破線で結びます

天皇家の家系図のように、天皇と中宮(藤原氏や平氏の娘)を婚姻の二重線で結び、そこから子へ実線を下ろすと、外戚のからみがひと目で分かります。関係線の詳しい引き方は、家系図の書き方完全ガイドでも図解しています。

手書きでも描けますが、人物が増えると線の引き直しが大変です。オンラインの家系図ツールやテンプレートを使えば、配置や線をあとから自由に直せて、印刷や共有もかんたんです。本サイトの家系図エディタは、ここで紹介した関係線(実線・二重線・二重斜線・破線)をそのまま選んで引けるように作られています。和紙・免許状風のテンプレートも用意していますので、歴史好きの自由研究から、ご自身の家系図づくりまで幅広く使えます。登録は不要です。

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歴代天皇・平安時代の家系図を読んだあとにやること

  • 気になる天皇の代数を確認したら、一覧の番号だけでなく家系図の親子線もあわせて確認する。兄弟間で皇位が移ると代数は進んでも世代は変わらない
  • 藤原氏が絡む天皇(一条天皇・後一条天皇など)は、中宮の名前もセットで押さえる。外戚関係がその天皇の権力の背景になっている
  • 院政期の天皇は、譲位後の上皇(院)の名前も確認する。実権が在位中の天皇ではなく上皇にある期間があるため
  • 天皇家全体の流れを見たい場合は、天皇家の家系図へ進み、平安時代の前後とのつながりを確認する

よくある質問

平安時代の最初の天皇は誰ですか?
平安京に都を移した桓武天皇です。794年に都を平安京(現在の京都)へ移し、ここから平安時代が始まります。桓武天皇の子・嵯峨天皇が朝廷の制度を整え、その後の天皇はこの流れを受け継いでいきました。
歴代天皇の「○代」という数字は何を表していますか?
即位した順番に振られた番号で、初代とされる神武天皇から数えます。親子の世代の数とは一致しません。兄から弟へ皇位が移った場合も代数は一つ進むため、血のつながりを知りたいときは、代数の一覧ではなく家系図で見ると分かりやすくなります。
藤原氏はなぜ平安時代に栄えたのですか?
娘を天皇に嫁がせ、生まれた皇子が天皇になると、その母方の親戚(外戚)として権力を握ったからです。幼い天皇に代わって政治を行うのが摂政、成人後に補佐するのが関白で、藤原道長は娘の彰子を一条天皇に嫁がせ、孫が天皇となる外祖父として全盛期を築きました。これを摂関政治といいます。
院政とは何ですか?
天皇が位を子に譲ったあと、上皇(院)として政治の実権を握り続けるしくみです。平安後期に白河天皇(白河上皇)が始め、鳥羽上皇・後白河上皇へと受け継がれました。家系図では、退位した上の世代の人物が実権を握る点が特徴です。
平安時代の終わりごろの天皇は誰ですか?
平氏とともに運命をたどった安徳天皇がよく知られます。母は平清盛の娘・徳子(建礼門院)で、清盛の外孫にあたります。ただし、安徳天皇が平氏とともに都を離れたあと、京では後鳥羽天皇が即位しており、一時は二人の天皇が並び立ちました。安徳天皇が壇ノ浦の戦いで亡くなった前後を境に、時代は鎌倉時代へと移っていきます。

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家系図マニア

祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。