藤原氏・五摂家の家系図|鎌足・道長から近衛・九条まで図解で解説

この記事で分かること
- 藤原氏・五摂家の家系図が、鎌足・道長から近衛・九条まで一目でわかる
- そもそも藤原氏とは何か——鎌足が姓を賜った成り立ち
- 藤原四家(南家・北家・式家・京家)はどう分かれたのか
- 摂関政治で栄えた道長と、天皇の外戚という仕組み
- 五摂家(近衛・鷹司・九条・二条・一条)の分かれ方
藤原氏は、鎌足が姓を賜ってから江戸時代末まで、千年以上にわたって朝廷の中枢に居座り続けた一族です。頂点にあたる摂政・関白の地位は平安中期以降ほぼ独占され、道長の代の後は近衛・鷹司・九条・二条・一条という五摂家に枝分かれしたのちも、明治維新まで交代でこの地位を出し続けました。四家の分立から五摂家の固定まで、一族が生き残った理由は「一本の血筋を守った」ことではなく、「複数の家に分けて座を分散させた」ことにあります。
目次
藤原氏・五摂家の家系図|鎌足から五摂家まで一目でわかる系図
まずは、藤原鎌足を起点に、摂関家へとつながる北家の本流を簡易系図で見てみましょう。人物が多いため主要な人物だけを抜き出し、一部の代は省いています。縦の実線は実の親子、破線は養子のつながりを表します。
家系図のかたちで大きな流れを追うと、次のように整理できます。
- 鎌足・不比等から四家へ — 藤原氏は、中臣鎌足が天皇から「藤原」の姓を賜ったのが始まりです。子の不比等が一族の地位を固め、その四人の子から南家・北家・式家・京家の藤原四家が分かれました。
- 北家の道長・頼通へ — 四家のうち、もっとも栄えたのが北家です。冬嗣・良房・基経と続くなかで摂政・関白の地位を独占し、道長・頼通の代に摂関政治の全盛期を迎えます。
- 五摂家への枝分かれ — 道長の子孫・忠通の代に、一族は近衛家と九条家に分かれ、さらに鷹司・二条・一条が分かれて、摂政・関白を出す五つの家(五摂家)が固まりました。
以下では、この系図を「藤原氏とは何か」「四家の分かれ方」「道長と摂関政治」「五摂家」の順に、もう少しくわしく見ていきます。
そもそも藤原氏とは|鎌足が賜った「藤原」の姓

藤原氏の家系図を理解する第一歩は、「藤原氏は天皇から姓を賜った一族である」という点を押さえることです。大化の改新で活躍した中臣鎌足が、その功により天智天皇から「藤原」の姓を賜ったのが始まりとされます。
| 用語 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
| 藤原氏 | ふじわらし | 中臣鎌足が「藤原」の姓を賜ったことに始まる一族 |
| 摂関家 | せっかんけ | 摂政・関白を出す家柄。藤原北家の流れ |
| 五摂家 | ごせっけ | 摂関家が分かれた五つの家(近衛・鷹司・九条・二条・一条) |
つまり藤原氏の家系図は、天皇の家系図と婚姻でからみ合いながら、平安時代の政治を動かしていきました。
藤原四家の家系図|不比等の子から分かれた南家・北家・式家・京家
藤原氏は、不比等の四人の子の代で、大きく四つの家に分かれます。これを藤原四家と呼びます。それぞれの家名は、住んだ場所や役職に由来します。
| 家 | 祖(読み) | 特徴 |
|---|---|---|
| 南家 | 武智麻呂(むちまろ) | 不比等の長男の流れ。奈良時代に栄えた |
| 北家 | 房前(ふささき) | 次男の流れ。のちに摂関家として最も栄えた |
| 式家 | 宇合(うまかい) | 三男の流れ。奈良末〜平安初期に有力 |
| 京家 | 麻呂(まろ) | 四男の流れ。四家の中では早くにふるわなくなった |
こうして、四家のなかから北家が抜け出し、摂政・関白を出す摂関家へと成長していきます。
藤原道長と摂関政治|北家が栄華をきわめた家系図
藤原氏の家系図でもっとも知られるのが、摂関政治の全盛期を築いた藤原道長でしょう。北家の冬嗣から道長までの流れを、表で整理しました。
| 続柄 | 人物(読み) | 主な事績 |
|---|---|---|
| 北家の祖 | 房前(ふささき) | 不比等の次男。北家のはじまり |
| — | 冬嗣(ふゆつぐ) | 天皇の信任を得て北家興隆の足がかりを築いた |
| — | 良房(よしふさ) | 臣下で初めて摂政となった |
| 養子 | 基経(もとつね) | 良房の養子。初めて関白となった |
| — | 道長(みちなが) | 娘を次々と天皇に嫁がせ、摂関政治の全盛期を築いた |
| 子 | 頼通(よりみち) | 道長の子。宇治平等院を営み、栄華を受け継いだ |
道長は、複数の娘を天皇や皇太子に嫁がせ、外戚として並ぶ者のない権勢をきわめました。子の頼通もその地位を受け継ぎますが、やがて娘に皇子が生まれなかったことなどから、北家の栄華にもかげりが見えはじめます。
五摂家の家系図|近衛・鷹司・九条・二条・一条への枝分かれ
道長の子孫は、忠通の代で大きく枝分かれし、摂政・関白を出す五つの家——五摂家が固まります。日本史でおなじみの公家の名門の多くが、この五摂家です。
| 家 | 祖(読み) | 分かれ方 |
|---|---|---|
| 近衛家 | 近衛基実(もとざね) | 忠通の子。五摂家筆頭とされた |
| 鷹司家 | 鷹司兼平(かねひら) | 近衛家から分かれた |
| 九条家 | 九条兼実(かねざね) | 忠通の子。近衛家と並ぶ流れ |
| 二条家 | 二条良実(よしざね) | 九条家から分かれた |
| 一条家 | 一条実経(さねつね) | 九条家から分かれた |
五摂家は、その後も摂政・関白を交代で出す家柄として、江戸時代まで続きました。一つの家が栄え続けるのではなく、いくつもの家に分かれて家名を伝えたところに、藤原氏のしぶとさがあります。続柄をていねいにたどると、別々に習った公家たちが一本の血筋でつながっていたことが見えてきます。
藤原氏の家系図を自分で作る方法|標準的な関係線で再現
ここまで見てきたように、藤原氏の家系図は、親子・婚姻・養子といったつながりが、何代にもわたって続いていきます。こうした長い血筋は、文字の一覧より、線で結んだ家系図にすると一気に分かりやすくなります。
家系図をきれいに描くコツは、関係ごとに線を引き分けることです。本サイトでは、系統図で広く使われる標準的な記法に沿って、次のように線を使い分けることをおすすめしています。
| 関係 | 線の種類 | 書き方のポイント |
|---|---|---|
| 親子(実子) | 実線 | 夫婦を結ぶ線の中点から、子へ下ろします |
| 配偶者(婚姻) | 二重線 | 夫婦を横に並べ、二重の横線で結びます |
| 離婚(元配偶者) | 二重斜線 | 配偶者の二重線に斜線を重ね、離婚を示します |
| 養子 | 破線 | 実の親子(実線)と区別するため、破線で結びます |
藤原氏のように養子で家をつないだ一族は、実線と破線を描き分けると、血筋と家の継承を取り違えずに整理できます。関係線の詳しい引き方は、家系図の書き方完全ガイドでも図解しています。
手書きでも描けますが、人物が増えると線の引き直しが大変です。オンラインの家系図ツールやテンプレートを使えば、配置や線をあとから自由に直せて、印刷や共有もかんたんです。本サイトの家系図エディタは、ここで紹介した関係線(実線・二重線・二重斜線・破線)をそのまま選んで引けるように作られています。和紙・免許状風のテンプレートも用意していますので、歴史好きの自由研究から、ご自身の家系図づくりまで幅広く使えます。登録は不要です。
藤原氏の家系図を読み解いたあとにやること
- まず人物が藤原四家(南家・北家・式家・京家)のどれに属するかを確認してから、系図の枝をたどる。北家以外の家名が出てきても、別の一族と混同しない
- 良房から基経への線のように、養子(破線)が入っている箇所を見落とさず、実子(実線)と区別する
- その人物が五摂家(近衛・鷹司・九条・二条・一条)のどの家の子孫にあたるかを整理する。同じ「藤原」でも家によって家格や役割が異なる
- 婚姻でからむ天皇家側の系図(天皇の家系図)と突き合わせ、誰が外戚にあたるのかを確かめる
よくある質問
藤原氏の始まりは誰ですか?
藤原四家とは何ですか?
藤原道長はなぜあれほど栄えたのですか?
五摂家とは何ですか?
良房と基経はどういう関係ですか?
AUTHOR
家系図マニア
祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。