平氏・平家の家系図|桓武天皇から平清盛・将門まで図解で解説

この記事で分かること
- 平氏・平家の家系図が、桓武天皇から清盛・将門まで一目でわかる
- 「平氏」と「平家」はどう違うのか——呼び分けの基準
- 天皇家から臣籍降下した平高望と、その子孫の枝分かれ
- 平清盛の一門が、天皇の外戚として栄えた流れ
- 平氏の家系図を、標準的な関係線で自分で作る方法
平氏とは、天皇の子孫が「平」の姓を賜って臣籍降下した一族の総称です。ただし一口に平氏といっても、桓武天皇に由来する桓武平氏だけで、関東で乱を起こした平将門の系統と、政権を握った平清盛の系統という、性格の異なる二つの流れがあります。さらに「平氏」と「平家」は同じ言葉のように使われがちですが、指す範囲は本来別ものです。この違いを整理しないまま人物名だけを覚えると、将門と清盛がどうつながっているのか、いつまでも曖昧なままになりがちです。
目次
平氏・平家の家系図|桓武天皇から平清盛まで一目でわかる系図
まずは、桓武天皇を起点に、武家の平氏(桓武平氏)の本流を簡易系図で見てみましょう。人物が多いため主要な人物だけを抜き出し、一部の代は省いています。縦の実線は実の親子のつながり、横の二重線は夫婦のつながりを表します。
家系図のかたちで大きな流れを追うと、次のように整理できます。
- 桓武天皇の血を引く平高望から — 平氏は、天皇の子孫が「平(たいら)」の姓を賜り、臣下に下った一族です。桓武天皇の流れをくむのが桓武平氏で、その曾孫にあたる高望王が「平」姓を賜って臣下に下り、関東へ下ったのが武家平氏の始まりとされます。
- 将門の流れと、清盛へ続く流れ — 高望の子の代から、平氏は大きく枝分かれします。良将の子・将門は関東で乱を起こし、国香の子・貞盛がこれを鎮めました。貞盛の子孫が伊勢に基盤を築いた伊勢平氏で、のちの清盛へとつながります。
- 天皇の外戚となった清盛一門 — 正盛・忠盛・清盛と続くなかで、平氏は中央政界へ進出します。清盛は娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、その子・安徳天皇の外祖父として権勢をきわめました。
以下では、この系図を「平氏とは何か」「将門と貞盛」「清盛の一門」「自分で作る方法」の順に、もう少しくわしく見ていきます。
そもそも平氏とは|「平氏」と「平家」の違い

平氏の家系図を理解する第一歩は、「平氏とは天皇の子孫である」という点を押さえることです。皇族が増えすぎると朝廷の財政を圧迫するため、一部の皇子・皇孫に姓を与えて臣下(臣籍)に下す——これを臣籍降下といいます。このとき与えられた姓のひとつが「平」でした。源氏と同じく、天皇家から分かれた一族なのです。
| 用語 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
| 平氏 | へいし | 天皇から「平」の姓を賜り臣籍降下した一族の総称 |
| 桓武平氏 | かんむへいし | 桓武天皇の流れをくむ平氏。武家平氏を代表する流れ |
| 平家 | へいけ | 一般に平清盛を中心とする伊勢平氏の一門を指す呼び方 |
つまり平氏の家系図も、いちばん上をたどると天皇家につながります。源氏と平氏がともに天皇家から分かれた一族だったことは、天皇の家系図とあわせて見るといっそうはっきりします。
平将門と平貞盛|関東で分かれた高望王の子孫
桓武平氏のなかで、早くに歴史の表舞台へ出たのが、高望王の孫の世代です。平高望は子の国香・良将らとともに関東へ下り、各地に勢力を広げました。その一族のなかで起きたのが、平将門の乱です。
| 続柄 | 人物(読み) | 主な事績 |
|---|---|---|
| 祖 | 平高望(たかもち) | 桓武平氏の祖。臣籍降下して関東へ下った |
| 子 | 平国香(くにか) | 高望の子。将門と争い、討たれた |
| 孫 | 平将門(まさかど) | 良将の子。関東で乱を起こし「新皇」を称した |
| 孫 | 平貞盛(さだもり) | 国香の子。藤原秀郷とともに将門を討った |
将門を討った貞盛の子孫は、やがて伊勢(三重県)に基盤を移し、伊勢平氏と呼ばれるようになります。この流れから、のちに平清盛が現れます。
平清盛の家系図|天皇の外戚として栄えた平家一門
平氏の家系図でもっとも知られるのが、政権を握った平清盛とその一門でしょう。清盛は、伊勢平氏の正盛・忠盛と続く流れに生まれ、武士として初めて太政大臣にのぼりつめました。
- 正盛・忠盛から清盛へ — 清盛の祖父・正盛、父・忠盛は、院(上皇)に仕えて中央での地位を固めました。その地盤を受け継いだ清盛が、保元・平治の乱を経て一気に権力の中心へと進みます。
- 天皇の外戚となった清盛 — 清盛は娘の徳子(建礼門院)を高倉天皇に嫁がせます。生まれた安徳天皇の外祖父となったことで、平家は「平家にあらずんば人にあらず」と語られるほどの栄華をきわめました。
- 一門の最期 — しかし清盛の死後、平家は源氏との争い(源平合戦)に敗れます。嫡男・重盛は早くに病で世を去り、宗盛・知盛らは壇ノ浦の合戦で滅び、幼い安徳天皇も入水しました。
こうして見ると、平氏の家系図は清盛一人で完結するものではなく、将門・貞盛の関東での争いから、清盛の中央での栄華まで、長い時間をかけて枝を伸ばしてきたことが分かります。なお、清盛とは別の流れ(良文の子孫)からは、のちに鎌倉幕府の執権となる北条氏など、坂東平氏と呼ばれる一族も出たと伝えられます。
平氏の家系図を自分で作る方法|標準的な関係線で再現
ここまで見てきたように、平氏の家系図は、臣籍降下・親子・婚姻といったつながりが、何代にもわたって続いていきます。こうした長い血筋は、文字の一覧より、線で結んだ家系図にすると一気に分かりやすくなります。
家系図をきれいに描くコツは、関係ごとに線を引き分けることです。本サイトでは、系統図で広く使われる標準的な記法に沿って、次のように線を使い分けることをおすすめしています。
| 関係 | 線の種類 | 書き方のポイント |
|---|---|---|
| 親子(実子) | 実線 | 夫婦を結ぶ線の中点から、子へ下ろします |
| 配偶者(婚姻) | 二重線 | 夫婦を横に並べ、二重の横線で結びます |
| 離婚(元配偶者) | 二重斜線 | 配偶者の二重線に斜線を重ね、離婚を示します |
| 養子 | 破線 | 実の親子(実線)と区別するため、破線で結びます |
平氏のように何代も続く血筋は、親子の実線を縦にまっすぐ並べ、清盛と徳子・高倉天皇のような婚姻は二重線で横に結ぶと、権力のつながりまで一目で追えるようになります。関係線の詳しい引き方は、家系図の書き方完全ガイドでも図解しています。
手書きでも描けますが、人物が増えると線の引き直しが大変です。オンラインの家系図ツールやテンプレートを使えば、配置や線をあとから自由に直せて、印刷や共有もかんたんです。本サイトの家系図エディタは、ここで紹介した関係線(実線・二重線・二重斜線・破線)をそのまま選んで引けるように作られています。和紙・免許状風のテンプレートも用意していますので、歴史好きの自由研究から、ご自身の家系図づくりまで幅広く使えます。登録は不要です。
平氏・平家の家系図まとめ|一族のポイント
平氏の家系図をたどるときにまず押さえておきたいのは、「平氏」は天皇家から分かれた一族全体を指し、「平家」はそのなかの清盛一門を指す、という範囲の違いです。将門と貞盛はともに平高望を祖父にもついとこ同士で、関東での争いを経た貞盛の血筋が、やがて伊勢平氏として清盛の代に中央政界での栄華へとつながりました。名前の暗記だけでなく「誰が誰から続いたのか」を家系図でたどると、日本史がぐっと立体的に見えてきます。源氏との対比で見たい方は、あわせて源氏(清和源氏)の家系図もご覧ください。
よくある質問
「平氏」と「平家」はどう違うのですか?
平氏の始まりは誰ですか?
平将門と平清盛はどうつながっていますか?
平清盛はなぜあれほど栄えたのですか?
北条氏も平氏ですか?
AUTHOR
家系図マニア
祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。