天照大御神の家系図|古事記・日本書紀でたどる神々の系譜を図解

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天照大御神の家系図|古事記・日本書紀でたどる神々の系譜を図解

神社の由緒書きに並ぶ神名を目で追っていると、天照大御神・須佐之男命・邇邇芸命といった聞き覚えのある名前が、どういう関係でつながっているのか急にあいまいになります。しかも同じ神が、ある本では「天照大御神」、別の本では「天照大神」や「大日孁貴」と書かれている。神話は物語として語られるため、親子や兄弟の関係が文章のあいだに散らばってしまうのです。系図のかたちに置き直すと、この散らばりが一気に片づきます。

天照大御神の家系図|伊邪那岐命から神武天皇までの系譜

まず、『古事記』の伝えを軸に、天照大御神の親から神武天皇までを一枚の系図にしました。神名は『古事記』系の通用表記にそろえています。

天照大御神を中心とした記紀の神統譜
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伊邪那岐命・伊邪那美命から三貴子、天孫降臨の邇邇芸命、日向三代を経て神武天皇へ至る系譜。三貴子の親子線は、伊邪那岐命の禊によって生まれたとする『古事記』の伝えに合わせています(『日本書紀』本文では二神が共に生んだとします)。豊玉毘売と玉依毘売が姉妹であることを示すため、父の大綿津見神を置いています。

大きな流れは、次の四段に分けて読むと迷いません。

  • 国生みの二神から三貴子へ — 伊邪那岐命・伊邪那美命の二神が国を生み、その後に天照大御神・月読命・須佐之男命の三柱が生まれます。この三柱をまとめて三貴子と呼びます。ただし『古事記』は伊邪那岐命ひとりから生まれたと伝え、母にあたる神を立てません。
  • 天照大御神の子・天忍穂耳命 — 天照大御神と須佐之男命が天安河で行った誓約によって、五男三女の神が生まれます。そのうちの長兄が天忍穂耳命です。
  • 天孫降臨 — 天忍穂耳命の子・邇邇芸命が、高天原から日向の高千穂へ降ります。これが天孫降臨です。
  • 日向三代から神武天皇へ — 邇邇芸命、その子・火遠理命、その子・鵜葺草葺不合命の三代を日向三代と呼び、鵜葺草葺不合命の子が初代とされる神武天皇です。

つまり神武天皇は、天照大御神から数えて五代下った子孫にあたります。以下では、各段の中身と、記紀で伝えが分かれる箇所を順に見ていきます。

天照大御神の親と兄弟|三貴子はどう生まれたか

天照大御神の家系図でいちばん最初につまずくのが、この誕生の場面です。『古事記』と『日本書紀』の本文で、伝え方がはっきり違うからです。

『古事記』上巻では、亡くなった妻・伊邪那美命を追って黄泉国へ行った伊邪那岐命が、逃げ帰ったのちに筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊をします。そのとき、左の目を洗って天照大御神、右の目を洗って月読命、鼻を洗って建速須佐之男命が生まれました。父はいるが母はいない、単独の化生として語られます。

いっぽう『日本書紀』巻第一・神代上の本文(正文)では、伊奘諾尊・伊奘冉尊の二神が大八洲国と山川草木を生んだのち、「天下の主たる者を生もう」として日神である大日孁貴を生み、次いで月神、蛭児、素戔嗚尊を生んだとします。こちらは両親のそろった出生です。

兄弟にあたる二柱については、それぞれ治める領域が定められます。

神名 読み 治めるとされた領域
天照大御神 あまてらすおおみかみ 高天原
月読命 つくよみのみこと 夜之食国(『古事記』)
須佐之男命 すさのおのみこと 海原

須佐之男命はこの命に従わず追放され、出雲へ降って八岐大蛇を退治します。その子孫に大国主神が位置づけられ、天照大御神の系統とは別の流れをかたちづくります。系図としては、三貴子のところで大きく二本に分かれると押さえておくとよいでしょう。

天照大御神の子|誓約で生まれた五男三女神

天照大御神の家系図|誓約で生まれた五男三女神の系譜を表すイメージ

記紀には、天照大御神の配偶者にあたる神は語られません。子は、須佐之男命との誓約によって生まれたと語られます。誓約とは、あらかじめ結果の意味を取り決めたうえで行う一種の占いです。

『古事記』上巻では、天照大御神が須佐之男命の十拳剣を噛み砕いて三柱の女神を、須佐之男命が天照大御神の八尺勾玉を噛み砕いて五柱の男神を生みました。そのうえで、生まれた神は物実、つまり材料となった物の持ち主の子とするという取り決めにより、五男神が天照大御神の子、三女神が須佐之男命の子とされます。

区分 神名(『古事記』) 系図上の位置
五男神 天忍穂耳命ほか四柱 天照大御神の子。長兄の天忍穂耳命が皇統へ続く
三女神 多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命 須佐之男命の子。宗像三女神として祀られる

五男神の長兄・天忍穂耳命は、高御産巣日神の娘である万幡豊秋津師比売命を妻とします。『古事記』では、この二神のあいだに天火明命と邇邇芸命の二柱が生まれ、弟の邇邇芸命が皇統へ続きます。天照大御神から見れば、邇邇芸命は孫にあたります。「天孫」という呼び方は、この続柄をそのまま指した言葉です。

天孫降臨と日向三代の家系図|邇邇芸命から神武天皇へ

天照大御神の子孫が地上を治めるまでの流れが、天孫降臨とそれに続く日向三代です。

『古事記』では、天照大御神と高木神(高御産巣日神)が葦原中国を治めるよう命じます。はじめは天忍穂耳命に命じられましたが、支度のあいだに子の邇邇芸命が生まれたため、代わって邇邇芸命が降ることになりました。『日本書紀』巻第二・神代下の第九段本文では、この降臨を主導するのは高皇産霊尊で、皇孫として降るのは天津彦彦火瓊瓊杵尊です。命じる主体が天照大御神と高木神か、高皇産霊尊か、ここも記紀で読みの分かれるところです。

降臨した邇邇芸命から神武天皇までの三代は、次のようにつながります。

神名(『古事記』) 妻と続柄のポイント
一代 邇邇芸命 大山津見神の娘・木花之佐久夜毘売を妻とする
二代 火遠理命(山幸彦) 海神の娘・豊玉毘売を妻とする
三代 鵜葺草葺不合命 豊玉毘売の妹・玉依毘売を妻とする

火遠理命は、兄の火照命(海幸彦)と釣り針をめぐって争う「海幸彦・山幸彦」の物語の主人公です。そして三代目の鵜葺草葺不合命は、母・豊玉毘売の妹である玉依毘売を妻に迎えます。おばにあたる神との婚姻で、系図に描くと配偶者の二重線が一世代さかのぼる形になり、神話特有の入り組んだ続柄が目に見えます。

鵜葺草葺不合命と玉依毘売のあいだに生まれたのが、五瀬命・稲氷命・御毛沼命・若御毛沼命の四柱です。末子の若御毛沼命が、またの名を神倭伊波礼毘古命といい、初代とされる神武天皇にあたります。神武天皇より後の系譜は、天皇家の家系図で現在まで通してたどれます。

記紀で食い違う系譜|古事記と日本書紀の家系図を読み比べる

同じ神に別の名が当てられている点も、系図を混乱させる原因です。主なものを対照させました。

『古事記』の表記 『日本書紀』の表記
天照大御神 天照大御神 天照大神・大日孁貴
須佐之男命 建速須佐之男命 素戔嗚尊
天孫 邇邇芸命 天津彦彦火瓊瓊杵尊
山幸彦 火遠理命 彦火火出見尊
神武天皇 神倭伊波礼毘古命 神日本磐余彦尊

系譜そのものが分かれるのは、次の三点です。

  • 三貴子の出生 — 『古事記』は伊邪那岐命の禊による単独の化生。『日本書紀』本文は二神が共に生んだとし、第五段の一書(第六)には禊による伝えも併記される。
  • 邇邇芸命の子の名と順序 — 『古事記』は火照命・火須勢理命・火遠理命の三柱。『日本書紀』第九段本文は火闌降命・彦火火出見尊・火明命とし、名も並びも異なる。なお『古事記』で邇邇芸命の兄とされる天火明命が、『日本書紀』本文では邇邇芸命の子として現れる。
  • 天孫降臨を命じる神 — 『古事記』は天照大御神と高木神。『日本書紀』第九段本文は高皇産霊尊が主導する。

神話の家系図の作り方|関係線と注記で伝えの違いを示す

神々の系譜を自分で描くときも、使う関係線は人の家系図と変わりません。線を役割ごとに引き分けると、複雑な続柄も読めるようになります。

関係 線の種類 神話の系図での使いどころ
親子 実線 伊邪那岐命から三貴子、天照大御神から天忍穂耳命など
配偶者 二重線 邇邇芸命と木花之佐久夜毘売、火遠理命と豊玉毘売など
離婚 二重斜線 別れが語られる関係を区別したいとき
養子 破線 実の親子と、育ての関係を描き分けたいとき

神話の系図でとくに効くのが、注記を惜しまないことです。伝えが分かれる親子線には「『古事記』による」と添える、別名のある神には併記する。それだけで、図の主張が「これが唯一の正解だ」から「この本ではこう伝える」に変わります。関係線の基本的な引き方は、家系図の書き方でも図解しています。

人物が二十柱ほどになると、手書きでは配置の引き直しに手間がかかります。本サイトの家系図エディタは、ここで挙げた実線・二重線・二重斜線・破線をそのまま選んで引けるので、途中で伝えを差し替えたくなったときも線をつなぎ直すだけで済みます。上の系図はそのまま読み込んで編集できます。和紙・免許状風のテンプレートもあり、神話の系譜を飾りとして仕上げるのにも向いています。登録は不要です。

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天照大御神の家系図でつまずきやすい点|配偶者・宗像三女神・別名の扱い

  • 三貴子の親を一つに決めてしまう — 『古事記』は伊邪那岐命ひとり、『日本書紀』本文は二神。どちらに拠ったかを図に注記する
  • 天照大御神に配偶者を描いてしまう — 子は誓約によって生まれたと語られ、配偶者にあたる神はいない。二重線を引く相手がいない点に注意
  • 宗像三女神を天照大御神の子として描いてしまう — 『古事記』の取り決めでは、三女神は須佐之男命の子。天照大御神の子は五男神
  • 神名の別表記を別の神と取り違える — 火遠理命と彦火火出見尊、邇邇芸命と瓊瓊杵尊は同じ神。対照表で突き合わせる
  • 神代と歴代天皇を地続きに読む — 神武天皇より前は神話・伝承として伝わる系譜で、実在が確かめられているわけではない。史実が確かな時代とは扱いを分ける

なお、天照大御神につながる系譜は皇統だけではありません。天皇の子孫が姓を賜って臣下に下った源氏の家系図も、たどっていけばこの神統譜に行き着きます。単独の化生や記紀の系譜の食い違いは日本神話に限った話ではなく、ギリシャ神話の神々の家系図でも同じ構図の異説が見られます。

よくある質問

天照大御神の親は誰ですか?
『古事記』では、伊邪那岐命が黄泉国から帰って禊をしたとき、左の目を洗って生まれたとされ、父にあたるのは伊邪那岐命のみです。いっぽう『日本書紀』巻第一の本文では、伊奘諾尊と伊奘冉尊の二神が共に日神(大日孁貴)を生んだとします。記紀で伝えが分かれる箇所なので、系図では拠った書を注記しておくのが正確です。
天照大御神の兄弟は誰ですか?
月読命と須佐之男命です。天照大御神を含めた三柱を三貴子と呼び、それぞれ高天原・夜之食国・海原を治めるよう定められました。須佐之男命はこれに従わず出雲へ降り、その子孫に大国主神が位置づけられます。系図では三貴子のところで大きく二つの流れに分かれます。
天照大御神に子はいますか?
須佐之男命との誓約によって五男三女の神が生まれ、『古事記』の取り決めでは五男神が天照大御神の子とされます。長兄が天忍穂耳命で、その子が天孫降臨の邇邇芸命です。三女神(宗像三女神)は須佐之男命の子とされるため、天照大御神の子として描かないよう注意します。
天照大御神から神武天皇まで何代ですか?
天照大御神の子が天忍穂耳命、孫が邇邇芸命、曾孫が火遠理命、玄孫が鵜葺草葺不合命で、その子が神武天皇にあたります。つまり神武天皇は天照大御神から五代下った子孫です。邇邇芸命・火遠理命・鵜葺草葺不合命の三代はとくに日向三代と呼ばれます。
古事記と日本書紀では系譜がどう違いますか?
大きくは三点です。三貴子が伊邪那岐命ひとりから生まれたか二神から生まれたか、邇邇芸命の子の名と並び順、そして天孫降臨を命じるのが天照大御神と高木神か高皇産霊尊か。『日本書紀』は「一書に曰く」として異伝を併記しており、当時から伝えが一本ではなかったことがうかがえます。

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祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。