フランス王室の家系図|ルイ16世とブルボン朝を図解で整理

最終更新 by 家系図マニア
家系図続柄
フランス王室の家系図|ルイ16世とブルボン朝を図解で整理

「ブルボン朝」とは、16世紀末から19世紀にかけて断続的にフランス王位を占めたブルボン家の系統を指す言葉です。誤解されがちなのは、王位が常に父から子へまっすぐ続くわけではない点です。フランス革命で命を落としたルイ16世の代がその典型で、父は即位前に世を去り、本人の処刑後は息子ではなく弟たちへと王位が移りました。祖父・弟・子どもたちが連なるこの系図をたどると、王位継承がなぜ直線的に進まなかったのかが見えてきます。家系図づくりの基礎は家系図の書き方完全ガイドもご覧ください。

フランス王室の家系図|ルイ16世を中心としたブルボン朝

まずは、ルイ16世を中心としたフランス王室の中心メンバーを家系図で見てみましょう。祖父ルイ15世から、ルイ16世とその家族、弟たちへとつながります。

フランス王室の家系図(ルイ16世とブルボン朝の直系)
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祖父ルイ15世から、王太子ルイ・フェルディナンを経てルイ16世とその弟たち、妃マリー・アントワネット、子のルイ17世・マリー・テレーズまでを整理した家系図です。夫婦は二重線、親子は実線で結んでいます。

図の通り、フランス王室の関係は次のように整理できます。

  • 祖父はルイ15世 — ルイ16世の祖父にあたる王です。王位はこの家系を通じて受け継がれます。
  • 父は即位前に死去 — ルイ16世の父・ルイ・フェルディナンは王太子のまま亡くなり、王にはなりませんでした。そのため孫のルイ16世が祖父の跡を継ぎます。
  • ルイ16世とマリー・アントワネット — 二人は二重線(婚姻)で結ばれます。アントワネットはハプスブルク家から嫁いだ王妃です。
  • 弟たちが後の王に — ルイ16世の弟、ルイ18世とシャルル10世は、後にそれぞれフランス王となりました。

このように、王位がどの順で受け継がれたのかは、親子(実線)と兄弟の並びをたどると整理できます。

ルイ16世の家族|マリー・アントワネットと子どもたち

フランス王室の家系図|ルイ16世とブルボン朝のイメージ

ルイ16世の家族を家系図で見てみましょう。妃マリー・アントワネットとの間には子どもがいましたが、革命の混乱のなかで多くが悲劇的な運命をたどりました。

人物 続柄 ポイント
マリー・アントワネット ハプスブルク家から嫁ぐ。革命で処刑
ルイ17世 息子 王位継承者とされたが獄中で死去
マリー・テレーズ 一家のなかで生き延びた

ルイ16世とマリー・アントワネットは、ともに革命のなかで処刑されました。息子のルイ17世は王位継承者とされながらも幼くして獄中で亡くなり、娘のマリー・テレーズが一家のなかで生き延びた数少ない一人となります。妃アントワネットの実家であるハプスブルク家の系図は、ハプスブルク家の家系図で整理しています。線の意味は家系図の記号・線の意味でも図解しています。

フランス王室の家系図の読み解き方|同じ名前の連続と分家への交代

フランス王室の系図を実際に自分で描いてみると、一般の伝記や年表を読むだけでは気づきにくい「系図特有の読みにくさ」にぶつかります。

一つ目は、同じ名前が何代も続く点です。ブルボン朝の王はほとんどが「ルイ」を名乗るため、系図に名前だけを並べると、どの代の誰なのか区別がつきません。ルイ15世・ルイ16世・(即位しなかったルイ17世)・ルイ18世と、番号がひとつずつ進んでいるように見えても、実際にはルイ16世とルイ18世は親子ではなく兄弟です。系図では、名前の下に生没年や在位年を添えてはじめて、この続柄の違いが読み取れるようになります。

二つ目は、世代の飛び越えが一度だけではないことです。本文で見た通り、ルイ16世は父が即位前に亡くなったため、祖父ルイ15世の跡を直接継ぎました。実はルイ15世自身も、父と兄、そして祖父にあたる王太子が相次いで世を去ったため、曾祖父ルイ14世から王位を継いだ人物です。系図の実線をたどると、ブルボン朝の直系では祖父から孫、さらに曾祖父から曾孫へと、世代を飛び越える継承が繰り返し起きていることが分かります。

三つ目は、直系がどこで途切れ、どの分家に交代したかです。革命の混乱を生き延びた娘マリー・テレーズは、いとこにあたるアングレーム公と結婚しましたが、二人の間に子は生まれませんでした。家系図で見ると、ルイ16世からの直接の血筋は、この世代で線が途切れます。さらに、王位を継いだ弟シャルル10世も1830年の七月革命で退位し、以後の王位はブルボン家の別系統であるオルレアン家(太陽王ルイ14世の弟を祖とする分家)へと移りました。本家の直系が途切れると、それまで脇に伸びていた分家の線が本線に組み込まれる——これもまた、家系図でしか一目で追えない王室の構造です。日本の家督相続で、跡継ぎのいない本家に分家や親族から養子を迎えるのと似た仕組みが、王室の系図にも形を変えて現れていると考えると理解しやすくなります。

フランス王室の家系図から学ぶ|王位の流れを世代で読む

フランス王室の家系図がよい教材なのは、王位がどの順で受け継がれたかが線で追えるからです。ルイ16世の父が王にならずに亡くなったため孫が継ぎ、ルイ16世の処刑後は、王位継承者とされた子のルイ17世が獄中で亡くなったのち、弟たちへと王位が移りました。血のつながりと世代を線でたどると、複雑に見える王位の流れもすっきり整理できます。

男性は□、女性は○で表し、夫婦は二重線、親子は実線で結びます。この記法さえ分かれば、フランス王室のように王位が複雑に動く一族でも、一枚の図に整理できます。ほかの名家の系図は有名人・名家の家系図まとめでも紹介しています。

フランス王室の家系図に描かれない子ども|庶子と正嫡の違い

冒頭の家系図には、ルイ16世とその近親だけが並んでいますが、実際のブルボン朝の系図を広げると、正式な王位継承の線には入らない子どもも歴史上たびたび登場します。曾祖父ルイ14世は、王妃以外の女性との間に生まれた子を法的な手続きで嫡出子に準じる扱いに引き上げ(正嫡化)、公爵位を与えて処遇しました。一方、祖父ルイ15世の代になると、同じように非公式な関係で生まれた子どもたちはいましたが、正嫡化されず王室の系図には組み込まれていません。

家系図を描くときにこの違いは、意外と見落とされがちです。血のつながりがあっても、法的な手続き(正嫡化や養子縁組)を経ていない子は、王位継承の系図には実線でつながれないからです。本サイトのようなオンライン家系図でも、実子は実線、養子や特別な手続きを経た関係は破線で描き分けます。フランス王室の系図が示すのは、「血縁」と「系図上つながる資格」が必ずしも一致しないという、王室ならではの線引きです。

実際に手を動かすなら、作成ツールが便利です。本サイトの家系図エディタは、夫婦を二重線、親子を実線で描き分けられ、人物を足すと線が自動でつながります。フランス王室のような大きな家系でも、自分の家族でも、同じ要領で一枚にまとめられます。同名の人物が続く家系や、世代を飛び越えて継承が動いた家系でも、生没年をメモ欄に添えておけば、あとから見返すときに迷いません。登録は不要で、ブラウザですぐに始められます。

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フランス王室・ブルボン朝の家系図まとめ

フランス王室の家系図が示すのは、血のつながりと王位継承が必ずしも一致しないという点です。ルイ16世の代では、父の早世で祖父から孫へ、その死後は息子ではなく弟たちへと、王位が親子の線をたびたび飛び越えて動きました。家系図で親子(実線)と兄弟の並びをあらかじめ描いておけば、こうした継承の飛び越えも見失わずに追えます。

よくある質問

ルイ16世の父は王ではなかったのですか?
はい、ルイ16世の父・ルイ・フェルディナンは王太子のまま亡くなり、王にはなりませんでした。そのため、王位は祖父ルイ15世から孫のルイ16世へと受け継がれました。家系図で見ると、父の代を飛ばして祖父から孫へ王位が移ったことが分かります。
ルイ16世に子どもはいましたか?
はい、妃マリー・アントワネットとの間に子どもがいました。息子のルイ17世は王位継承者とされましたが、革命の混乱のなか幼くして獄中で亡くなりました。娘のマリー・テレーズは一家のなかで生き延びた数少ない一人です。
ルイ16世の次に誰が王になりましたか?
ルイ16世の処刑後、最終的には弟たちが王位を継ぎました。弟のプロヴァンス伯が後のルイ18世、その弟のアルトワ伯が後のシャルル10世として、それぞれフランス王となっています。家系図では、王位が子ではなく弟たちへ移ったことが兄弟の並びから読み取れます。
フランス王室の家系図はどうやって作れますか?
夫婦を二重線、親子を実線で結ぶ基本の記法で描けます。男性は□、女性は○で表します。家系図エディタを使えば、人物を足すだけで線が自動でつながるため、フランス王室のように王位が複雑に動く一族も一枚に整理できます。登録不要で、PDFや画像に書き出せます。

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家系図マニア

祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。