徳川家康の家系図|松平氏の出自から子・御三家まで図解でやさしく解説

最終更新 by 家系図マニア
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徳川家康の家系図|松平氏の出自から子・御三家まで図解でやさしく解説

この記事で分かること

  • 徳川家康の家系図が、三河・松平氏の出自から子・御三家まで一目でわかる
  • 正室・築山殿と嫡男・信康に起きた悲劇と、家系図での描き方
  • 2代将軍・秀忠と、尾張・紀伊・水戸の御三家を興した子たちの続柄
  • 家康の血筋が、どのように江戸幕府260年を支えたか
  • 徳川家の家系図を、標準的な関係線で自分で作る方法

徳川家康の子だけを並べると、次のような対応になります。

  • 長男・信康(正室・築山殿の子):家督を継がず自害
  • 三男・秀忠(側室の子):2代将軍として宗家を継ぐ
  • 九男・義直/十男・頼宣/十一男・頼房:尾張・紀伊・水戸の御三家を興す

信長や秀吉の家が一代二代で嫡流を失ったのに対し、家康の家はこの「子の多さ」と「分家の備え」によって260年続きました。まずこの対応を押さえたうえで、系図の線を追ってみましょう。

徳川家康の家系図|松平氏の出自から子・御三家まで一目でわかる系図

まずは、徳川家康を中心に、父母・正室・子のつながりを簡易系図で見てみましょう。側室は煩雑になるため省き、のちの章でくわしく扱います。縦の実線は実の親子、横の二重線は婚姻(夫婦)を表します。

徳川家 直系・御三家の簡易系図
この家系図を編集
徳川家の直系と御三家の簡易系図。嫡男・信康は正室・築山殿の子。秀忠が2代将軍を継ぎ、義直・頼宣・頼房がそれぞれ尾張・紀伊・水戸の御三家を興しました(側室は省略)。

家系図のかたちで大きな流れを追うと、次のように整理できます。

  • 三河・松平氏の出 — 家康は三河(いまの愛知県東部)の領主・松平広忠の子として生まれました。幼名は竹千代。今川家の人質として育ち、のちに独立して姓を松平から徳川に改めます。
  • 正室・築山殿と嫡男・信康 — 家康の正室は今川一族の築山殿で、その子が嫡男・信康です。しかし信康は若くして自害に追い込まれ、家督は弟たちへと移っていきました。
  • 秀忠と御三家へ — 三男・秀忠が2代将軍を継ぎ、九男・義直、十男・頼宣、十一男・頼房が、それぞれ尾張・紀伊・水戸の御三家を興します。家康の血筋は、この子たちから幾筋にも枝分かれしていきました。

以下では、この系図を「出自・父母」「正室と嫡男の悲劇」「子と御三家」「子孫と血筋」の順に、もう少しくわしく見ていきます。

徳川家康の父・母|三河・松平氏という出自をたどる

徳川家康の家系図|松平氏の出自から子・御三家まで図解

徳川家康を理解するには、まず家康を生んだ三河・松平氏の状況を押さえると分かりやすくなります。父・母の続柄と人物像を、表で整理しました。

続柄 人物(読み) 関係・主な事績
松平広忠(まつだいら ひろただ) 三河・岡崎城主。今川と織田の間で苦しい立場に置かれ、若くして亡くなった
於大の方(おだいのかた) 水野家の出。広忠と離縁したのち、家康とは生き別れになった

母・於大の方とは幼くして生き別れになりましたが、家康はのちに再会を果たし、母を大切にしたと伝わります。家系図の上では一本の親子線でも、その背後には戦国ならではの離合集散がありました。

徳川家康の正室・築山殿と嫡男・信康|家系図に残る悲劇

徳川家康の家系図で、最も重い物語をもつのが、正室・築山殿と嫡男・信康です。二人の関係を表で整理しました。

続柄 名前(読み) 主な事績
正室 築山殿(つきやまどの) 今川一族の出。家康の最初の正室で、信康・亀姫の母
嫡男 松平信康(のぶやす) 家康の長男。織田信長の娘・徳姫を妻に迎えたが、若くして自害した

なお信康の妻・徳姫は、織田信長の娘です。徳川家と織田家は、家康と信長の同盟のもとで婚姻を重ねていました。徳姫の実家・織田家の系図は、織田信長の家系図で図解しています。あわせて読むと、信長・家康の同盟が血縁でも結ばれていたことが見えてきます。

徳川家康の子|秀忠と御三家を興した兄弟たち

徳川家康は、信長や秀吉と比べて子が多く、その子たちが幕府を支える有力な家を次々と興しました。これが、徳川の世が長く続いた大きな理由です。主な子を一覧で見てみましょう。

続柄 人物(読み) 興した家・主な事績
長男 松平信康(のぶやす) 築山殿の子。若くして自害し、家督は継がなかった
次男 結城秀康(ひでやす) 一時、豊臣秀吉の養子となり、のちに結城家を継いだ
三男 徳川秀忠(ひでただ) 2代将軍。将軍家(宗家)を継ぎ、家光へとつないだ
九男 徳川義直(よしなお) 尾張徳川家(御三家)の祖
十男 徳川頼宣(よりのぶ) 紀伊徳川家(御三家)の祖。8代将軍・吉宗はこの家から出た
十一男 徳川頼房(よりふさ) 水戸徳川家(御三家)の祖

次男・結城秀康が一時、豊臣秀吉の養子になっていたことも見逃せません。家康は同盟や和睦のために、わが子を他家へ送り出してもいました。秀吉側から見たこの養子縁組は、豊臣秀吉の家系図でも触れています。

徳川家康の子孫|御三家・御三卿が支えた将軍家の血筋

では、徳川家康の血筋は、その後どのように受け継がれたのでしょうか。鍵を握るのは、2代将軍・徳川秀忠の将軍家(宗家)と、御三家・御三卿の存在です。

  • 将軍家(宗家) — 秀忠から3代・家光、4代・家綱へと、はじめは父から子へまっすぐ受け継がれました。しかし途中で跡継ぎが絶えると、御三家・御三卿から養子を迎えて将軍位をつなぎます。
  • 御三家から将軍へ — 紀伊徳川家からは、8代将軍・徳川吉宗が出ました。吉宗の子孫がさらに御三卿(田安・一橋・清水)を興し、幕末の15代・徳川慶喜は一橋家から将軍家を継いでいます。
  • 明治以降も続く家名 — 将軍家・御三家・御三卿の各家は、明治維新後も華族として家名を保ちました。家康の血筋は、幾筋にも分かれながら現代まで受け継がれています。

血筋をたどると、徳川家康の家系は「子を多く残し、分家で本家を支える」という、長続きする一族の典型といえます。二代で途絶えた豊臣家とは対照的な、家の続け方の知恵が見えてきます。

徳川家の家系図を自分で作る方法|標準的な関係線で再現

ここまで見てきたように、徳川家康の家系図には、婚姻・実子・養子・分家など、さまざまな関係が登場します。こうしたつながりは、文字の一覧より、線で結んだ家系図にすると一気に分かりやすくなります。

家系図をきれいに描くコツは、関係ごとに線を引き分けることです。本サイトでは、系統図で広く使われる標準的な記法に沿って、次のように線を使い分けることをおすすめしています。

関係 線の種類 書き方のポイント
親子(実子) 実線 夫婦を結ぶ線の中点から、子へ下ろします
配偶者(婚姻) 二重線 夫婦を横に並べ、二重の横線で結びます
離婚(元配偶者) 二重斜線 配偶者の二重線に斜線を重ね、離婚を示します
養子 破線 実の親子(実線)と区別するため、破線で結びます

徳川家のように分家から本家へ養子が入る家では、実線(実子)と破線(養子)を引き分けておくと、血のつながりと家督の継承を別々に追えます。関係線の詳しい引き方は、家系図の書き方完全ガイドでも図解しています。

手書きでも描けますが、人物が増えると線の引き直しが大変です。オンラインの家系図ツールやテンプレートを使えば、配置や線をあとから自由に直せて、印刷や共有もかんたんです。本サイトの家系図エディタは、ここで紹介した関係線(実線・二重線・二重斜線・破線)をそのまま選んで引けるように作られています。和紙・免許状風のテンプレートも用意していますので、歴史好きの自由研究から、ご自身の家系図づくりまで幅広く使えます。登録は不要です。

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徳川家康の家系図は、三河・松平氏という出自から、嫡男・信康の悲劇、秀忠による宗家継承、そして御三家を興した子たちまで、一本の線でたどることができます。信長や秀吉の家と比べたとき際立つのは、家康が子を多く残し、分家を「血筋の予備」として備えたことで、江戸幕府260年の土台を築いた点です。

よくある質問

徳川家康の父と母は誰ですか?
父は三河・岡崎城主の松平広忠、母は水野家出身の於大の方です。家康はもともと松平氏で、今川家の人質として育ったのち独立し、姓を松平から徳川に改めました。
徳川家康の嫡男・信康はどうなったのですか?
嫡男・信康は正室・築山殿の子で、織田信長の娘・徳姫を妻に迎えました。しかし武田家との内通を疑われ、信長の意向もあって若くして自害に追い込まれます。築山殿も同じころに命を落とし、家督は三男・秀忠へと移りました。
徳川御三家とは何ですか?
御三家とは、家康の子が興した尾張・紀伊・水戸の三つの徳川家を指します。将軍家(宗家)に跡継ぎがいなくなったとき、この三家から養子を迎えて将軍を継がせる役割を担いました。8代将軍・吉宗は紀伊家から出ています。
徳川家康の子孫は現在もいますか?
将軍家(宗家)・御三家・御三卿の各家は、明治維新後も華族として家名を保ち、その子孫は現代まで続いています。家康は子が多く、分家で本家を支える仕組みを整えたため、血筋が幾筋にも分かれて受け継がれました。
なぜ徳川家は長く続いたのですか?
御三家をはじめとする分家を「血筋の予備」として備えていたためです。本家に跡継ぎがいなくなっても、分家から養子を迎えて将軍位をつなげる仕組みがあり(のちに御三卿も加わりました)、これが江戸幕府260年の安定を支えました。二代で途絶えた豊臣家とは対照的です。

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祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。