足利将軍家の家系図|尊氏から義満・義政・義昭まで15代を図解

この記事で分かること
- 足利将軍家の家系図が、尊氏から最後の義昭まで15代で一目でわかる
- 金閣の義満、銀閣の義政など、有名な将軍のつながり
- 将軍の座が、まっすぐ親子で継がれなかった事情
- 足利氏が源氏(清和源氏)から分かれた一族であること
- 足利将軍家の家系図を、標準的な関係線で自分で作る方法
足利将軍家は15代続きますが、親子でまっすぐ継承されたのは初代・尊氏から3代・義満までの3代だけです。4代目以降は、早世や跡継ぎ不在によって、将軍の座は兄弟や従兄弟のあいだを行き来しました。まず「代・将軍・継承の形」の対応を大づかみにすると、次のようになります。
- 1〜3代(尊氏→義詮→義満):親子でまっすぐ継承
- 6代・義教以降:義教の子孫のなかで枝分かれし、兄弟・従兄弟間の継承が増える
- 13・15代(義輝・義昭)は12代・義晴の子(兄弟)、14代・義栄は別の枝の従兄弟にあたる
この対応を先に頭へ入れておくと、以下の系図の線をたどるときに迷いにくくなります。
目次
足利将軍家の家系図|尊氏から義昭まで15代を一目で
まずは、初代・尊氏から15代・義昭までの足利将軍家を、簡易系図で見てみましょう。名前の前の数字は将軍の代を表します。縦の実線は実の親子のつながりです。
家系図のかたちで大きな流れを追うと、次のように整理できます。
- 尊氏から義満までは親子で継承 — 初代・尊氏、2代・義詮、3代・義満までは、父から子へまっすぐ将軍の座が受け継がれました。義満の代に、室町幕府は全盛期を迎えます。
- 義教の子孫で枝分かれ — 6代・義教の子から、将軍家はいくつもの枝に分かれます。応仁の乱以降は、将軍の座が兄弟や従兄弟の間で行き来し、家系図も横に広がっていきます。
- 最後の将軍・義昭まで — 12代・義晴の子である13代・義輝と15代・義昭、そして別の枝から出た14代・義栄まで、足利将軍家は続きました。義昭が織田信長に京を追われ、室町幕府は事実上の終わりを迎えます。
以下では、この系図を「足利氏とは何か」「有名な将軍たち」「複雑な将軍継承」の順に、もう少しくわしく見ていきます。
そもそも足利氏とは|源氏(清和源氏)から分かれた一族

足利将軍家の家系図を理解する第一歩は、「足利氏は源氏の一族である」という点を押さえることです。足利氏は、武家の名門・清和源氏の流れをくみます。
| 用語 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
| 足利氏 | あしかがし | 清和源氏の流れをくむ武家。室町幕府を開いた |
| 室町幕府 | むろまちばくふ | 足利氏が京都・室町に開いた武家政権 |
| 征夷大将軍 | せいいたいしょうぐん | 幕府の長。足利氏は15代にわたって受け継いだ |
つまり足利将軍家の家系図は、いちばん上をたどると源氏、さらには天皇家へとつながります。源氏の名門という家格が、足利氏が将軍となる正統性を支えていました。
有名な足利将軍|義満・義政と室町文化の家系図
足利将軍家には、日本史でおなじみの将軍が何人もいます。とくに文化史でよく登場するのが、金閣の義満と銀閣の義政です。
| 代 | 将軍(読み) | 主な事績 |
|---|---|---|
| 1 | 足利尊氏(たかうじ) | 室町幕府を開いた初代将軍 |
| 3 | 足利義満(よしみつ) | 南北朝を統一し全盛期を築く。金閣を建てた |
| 6 | 足利義教(よしのり) | くじ引きで将軍に選ばれたと伝わる。強権政治で知られる |
| 8 | 足利義政(よしまさ) | 銀閣を建てた。その治世に応仁の乱が起きた |
| 15 | 足利義昭(よしあき) | 最後の将軍。織田信長に京を追われた |
義満から義政へと続く時代は、金閣・銀閣に代表される室町文化が花開いた時期でもありました。しかしその裏で、将軍の継承はしだいに不安定になっていきます。
足利将軍家の継承|なぜ親子でまっすぐ継がれなかったのか
足利将軍家の家系図を見て戸惑うのは、将軍の座が父から子へまっすぐ継がれていない点でしょう。早世や跡継ぎ不在が重なり、座は兄弟や従兄弟の間を行き来しました。
- 早世が続いた将軍たち — 5代・義量は若くして亡くなり、跡継ぎを残せませんでした。そのため将軍の座は、父・義持の弟である義教(6代)の系統へ移ります。
- くじ引きで選ばれた義教 — 6代・義教は、義満の子のなかからくじ引きで選ばれたと伝えられます。以後、将軍は義教の子孫から出るようになりました。
- 兄弟・従兄弟での継承 — 義教の子孫は、義政・義視・政知らの枝に分かれ、後半の将軍はこれらの枝から出ます。13代・義輝と15代・義昭は12代・義晴の子(兄弟)、14代・義栄は別の枝から出た従兄弟にあたります。
こうして見ると、足利将軍家の家系図は一本の太い線ではなく、いくつもの枝が将軍の座を受け渡してきた、複雑なかたちをしていることが分かります。続柄をていねいにたどると、ばらばらに覚えていた将軍たちのつながりが見えてきます。
足利将軍家の家系図を自分で作る方法|標準的な関係線で再現
ここまで見てきたように、足利将軍家の家系図は、親子・兄弟のつながりが複雑に枝分かれします。こうした関係は、文字の一覧より、線で結んだ家系図にすると一気に分かりやすくなります。
家系図をきれいに描くコツは、関係ごとに線を引き分けることです。本サイトでは、系統図で広く使われる標準的な記法に沿って、次のように線を使い分けることをおすすめしています。
| 関係 | 線の種類 | 書き方のポイント |
|---|---|---|
| 親子(実子) | 実線 | 夫婦を結ぶ線の中点から、子へ下ろします |
| 配偶者(婚姻) | 二重線 | 夫婦を横に並べ、二重の横線で結びます |
| 離婚(元配偶者) | 二重斜線 | 配偶者の二重線に斜線を重ね、離婚を示します |
| 養子 | 破線 | 実の親子(実線)と区別するため、破線で結びます |
足利将軍家のように継承が複雑な家は、親子の実線を縦に、兄弟を横に並べて広げると、将軍の座がどの枝を行き来したのか一目で追えるようになります。関係線の詳しい引き方は、家系図の書き方完全ガイドでも図解しています。
手書きでも描けますが、人物が増えると線の引き直しが大変です。オンラインの家系図ツールやテンプレートを使えば、配置や線をあとから自由に直せて、印刷や共有もかんたんです。本サイトの家系図エディタは、ここで紹介した関係線(実線・二重線・二重斜線・破線)をそのまま選んで引けるように作られています。和紙・免許状風のテンプレートも用意していますので、歴史好きの自由研究から、ご自身の家系図づくりまで幅広く使えます。登録は不要です。
足利将軍家の家系図は、源氏の名門という家格を出発点に、尊氏から義満までの親子継承、義教以降の枝分かれ、そして義昭による終わりまでを一本の線でたどれます。名前を個別に覚えるより、誰が誰の子で、どの代から枝が分かれたのかを系図で確かめるほうが、室町時代の全体像はつかみやすくなります。源氏の流れから見たい方は、あわせて源氏(清和源氏)の家系図もご覧ください。
よくある質問
足利将軍家は何代続きましたか?
金閣と銀閣を建てたのはどの将軍ですか?
足利氏と源氏はどういう関係ですか?
なぜ将軍の座が兄弟や従兄弟に移ったのですか?
最後の足利将軍は誰ですか?
AUTHOR
家系図マニア
祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。