坂本龍馬の家系図|兄弟と坂本家を継いだ甥を図解で解説

家系図でいう「跡継ぎ」とは、血のつながりのことではなく、家の名と身代を受け継ぐ立場のことです。坂本龍馬の系図は、その二つが一致しない家として読むと筋が通ります。龍馬と妻・お龍の間に子はなく、坂本家を継いだのは姉・千鶴の子、つまり龍馬の甥にあたる高松太郎でした。
そのため高松太郎という一人の人物に、母・千鶴からの実線と、龍馬からの破線という二本の線が入ります。この二本を混ぜずに引けるかどうかが、坂本家の系図を写すときの最初の分かれ目です。家系図づくりの基礎は家系図の書き方完全ガイドもご覧ください。
目次
坂本龍馬の家系図|父・八平と兄弟姉妹
まずは、坂本龍馬の家族を家系図で見てみましょう。父・八平、長兄・権平、姉の千鶴と乙女、そして末っ子の龍馬という兄弟姉妹の関係です。
図の通り、坂本家は次のように整理できます。
- 父・八平と子どもたち — 龍馬は父・八平の末っ子です。長兄・権平、姉の千鶴・乙女とは、同じ父から実線(親子)で結ばれる兄弟姉妹です。
- 姉・乙女 — 龍馬と年が近く、幼い龍馬の面倒をよく見たことで知られます。「坂本家の仁王様」とも呼ばれた大柄な姉でした。
- 龍馬と妻・お龍 — 龍馬は楢崎龍(お龍)を妻に迎え、二人は配偶者線(二重線)で結ばれます。二人の間に子はいませんでした。
このように、親子(実線)と婚姻(二重線)の線をたどれば、龍馬を取り巻く家族のつながりが一枚の図で読み解けます。
坂本家の兄弟姉妹の並べ方|末っ子の龍馬と年の離れた長兄
兄弟姉妹を家系図に描くときは、同じ高さに横一列で並べ、左から生まれた順に置くのが読みやすい形です。坂本家の場合は左から権平・千鶴・乙女・龍馬の順で、龍馬がいちばん右の末っ子になります。
この並びに生没年を書き入れると、単なる名前の列挙では見えなかったことが浮かび上がります。長兄・権平と末っ子の龍馬は20歳以上離れていたと伝えられ、兄弟というより親子に近い年齢差です。父・八平は龍馬が20歳になる前に亡くなったとされ、以後の坂本家は権平が当主として支えました。図の上では龍馬と権平は同じ段に並ぶ「兄弟」ですが、実際の家のなかでの立場は対等ではなかったわけです。
姉の乙女は龍馬と年が近く、幼い龍馬の面倒をよく見たと伝えられます。一方でもう一人の姉・千鶴は龍馬よりかなり年上で、後に坂本家を継ぐ高松太郎の母になります。姉が二人いるという一行の情報でも、生年を添えて図に落とすと「近い姉」と「離れた姉」の役割の違いまで見えてくるのです。
坂本龍馬の妻・お龍|日本初の新婚旅行とされる薩摩への旅

龍馬の妻となったのが、楢崎龍、通称お龍です。寺田屋で龍馬が襲われた際、いち早く危険を知らせたという逸話でも知られます。
二人は、療養を兼ねて薩摩(鹿児島)を旅しました。これは「日本初の新婚旅行」とも語られています。家系図では、龍馬とお龍は配偶者線(二重線)で結ばれますが、二人の間に子はいませんでした。そのため、坂本家を誰が継ぐのかが、後の課題となります。
系図として見たとき、お龍の欄にはもう一つ書き方の判断が必要になります。龍馬は31歳で世を去りましたが、お龍はその後も30年以上を生きました。このように夫婦の一方が早くに亡くなり、残された側が長く生きた場合、二重線をどう扱うかという問題です。実際の家系図づくりでも、死別と離婚の描き分けはよく迷う箇所です。
| 婚姻が終わった理由 | 前の配偶者との線 | 新しい配偶者との線 |
|---|---|---|
| 死別 | 二重線をそのまま残す | 別の二重線を引く |
| 離婚 | 二重線に斜線を入れる | 別の二重線を引く |
死別と離婚を同じ線で描いてしまうと、後から図を見た人に誤解が生まれます。死別の場合、前の配偶者との二重線は消しません。 婚姻そのものは成立していたからです。斜線(二重斜線)を入れるのは離婚の場合だけで、これを取り違えると「離婚していた」という事実でない情報を図が語り出してしまいます。
なお、一人の人物から二本の配偶者線が出る図は横に広がりやすいため、先の配偶者を左、後の配偶者を右に置き、線の高さを少しずらすと重なりを避けられます。
坂本家を継いだ甥|実親子と養子を家系図で描き分ける
龍馬には実の子がいなかったため、坂本家は親族によって継がれていきました。ここで家系図の見どころとなるのが、実の親子と養子をどう描き分けるかです。
龍馬の没後、坂本家を継いだとされるのが、姉・千鶴の子である高松太郎です。高松太郎は龍馬の甥にあたり、後に「坂本直」と名乗って坂本家を継いだと伝えられます。
| つながり | 関係 | 家系図の線 |
|---|---|---|
| 千鶴 → 高松太郎 | 実の親子 | 実線 |
| 龍馬 → 高松太郎 | 家を継いだ養子 | 破線 |
家系図では、高松太郎は実母である千鶴から実線(実親子)で結ばれ、同時に家を継いだ龍馬からは破線(養子)で結ばれます。実線と破線を使い分けることで、「血のつながり」と「家を継ぐつながり」を一枚の図で区別できます。
坂本龍馬の家系図が読みにくくなる箇所|改名と屋号
坂本家の系図を写していて手が止まりやすいのが、同じ人物が複数の名前で登場することです。幕末の人物は改名・変名・通称が多く、資料をつなぎ合わせると人数を数え間違えることがあります。
| 人物 | 別の名前 | 名前が変わった事情 |
|---|---|---|
| 高松太郎 | 坂本直 | 坂本家を継いだことによる |
| 楢崎龍 | お龍 | 通称で呼ばれた |
| 坂本龍馬 | 才谷梅太郎 など | 脱藩後に変名を用いたと伝えられる |
この表のような対応を先に整理しておかないと、高松太郎と坂本直を別人として二つ置いてしまうという事故が起きます。系図では、一人につきノードは一つだけ作り、名前の欄には最終的に名乗った名を書き、旧姓や通称は注記に回すのが安全です。「坂本直(旧名・高松太郎)」のように書けば、どの資料と突き合わせても同じ人物だと分かります。
家名の由来も、系図の読み方に関わります。坂本家は才谷屋という商家から郷士となった家系と伝えられ、龍馬の変名にもその屋号が使われました。屋号は個人の名ではなく家につく名ですから、系図では人物欄には入れず、家全体の見出しや欄外の注記として添えます。この区別をしておくと、屋号を人名と読み違える誤りを防げます。
実際に坂本家のような系図を描いてみるなら、作成ツールが便利です。本サイトの家系図エディタは、実親子を実線、養子を破線で描き分けられ、人物を足すと線が自動でつながります。養子や跡継ぎの関係も、一枚の図にすっきり整理できます。登録は不要で、ブラウザですぐに始められます。
坂本龍馬の家系図から学べる書き方|血縁と家督を分けて描く
坂本家の系図を写すときに迷ったら、血のつながりの線と、家を継ぐ線を別々に引くという一点に立ち返ると判断がつきます。高松太郎に実線と破線の二本が入るのは重複ではなく、母から生まれた事実と坂本家を継いだ事実を、それぞれ別の情報として残しているからです。どちらか一本にまとめてしまうと、後から見た人には元の関係を復元できません。
ご自身の家系図でも、優先すべきは見た目の整い方より情報の分離です。まず戸籍などで確かめられる実親子だけを実線で組み、養子縁組や家督の移動は後から別の線として重ねる。この順で描けば、新しい資料が出てきたときにも図を作り直さずに足していけます。名前の異同や年齢差の注記も、その都度書き添えていけば十分です。
同じ幕末を生きた西郷隆盛の家系図も参考になります。
よくある質問
坂本龍馬に子どもはいましたか?
坂本乙女は坂本龍馬とどういう関係ですか?
家系図で養子はどう書きますか?
坂本龍馬の家系図はどうやって作れますか?
AUTHOR
家系図マニア
祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。