北大路魯山人の家系図|社家・北大路家から養子へ、その生い立ち

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北大路魯山人の家系図|社家・北大路家から養子へ、その生い立ち

陶芸・書・篆刻、そして美食の世界に名を残した巨匠北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)の家系図は、生まれた家(北大路家)と育った家(福田家)という二つの家にまたがる点に尽きます。本名は房次郎、数えで6歳のころに実家を離れて養子に入り、後年になって北大路姓へ復しました。この「実家と養家の切り替わり」を家系図で正しく描くには、実親子を実線、養子を破線で描き分けることが鍵になります。家系図づくりの基礎は家系図の書き方完全ガイドが参考になります。

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北大路魯山人の家系図|実家・北大路家と養家・福田家

魯山人を取り巻く二つの家を家系図にまとめました。生まれた家である北大路家と、養子として入った福田家の関係です。

北大路魯山人の家系図(実家・北大路家と養家・福田家)
京都・上賀茂神社の社家である北大路家に生まれた魯山人(本名・房次郎)と、幼くして養子に入った木版師・福田武造の関係を整理した家系図です。実親子は実線、養子は破線で結んでいます。

魯山人の家族関係は次の3点です。

  • 実家・北大路家 — 父・北大路清操は、京都の上賀茂神社につかえる社家(神職の家)の人でした。魯山人はこの家に生まれた実子です。
  • 本名は房次郎 — 「魯山人」は後年の号で、生まれたときの名は房次郎(ふさじろう)といいました。
  • 養家・福田家 — 幼くして養子に出され、木版師・福田武造の家に入ります。実親子(実線)と区別して、養子は破線で結びます。

生まれた家と育った家が異なる人物は、家系図でも実親子の線(実線)と養子の線(破線)を描き分けることで正しく整理できます。

北大路魯山人の生い立ち|社家に生まれ、養子に出される

魯山人は、明治16年(1883年)に京都・上賀茂神社の社家、北大路家に生まれました。しかし、父・清操は魯山人が生まれたころに世を去ったと伝えられ、母もやがて家を離れます。幼い房次郎は、生家にとどまることができませんでした。

その後、数えで6歳のころに木版師・福田武造の養子となり、福田房次郎と名乗ることになります。生まれた家と育つ家が変わる――これが、魯山人の家系図が「二つの家」にまたがる理由です。

続柄 ポイント
北大路家 実家(生家) 上賀茂神社の社家。実父・清操の家
福田家 養家 木版師・福田武造の家。房次郎を養子に迎える

家系図の上では、北大路清操と房次郎は実線(実親子)で結ばれ、福田武造と房次郎は破線(養子)で結ばれます。後年、彼は北大路の姓に復し、「魯山人」と号して芸術の世界へ羽ばたいていきました。

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北大路魯山人の家系図に見る養子の描き方|実線と破線の使い分け

魯山人の家系図がよい教材なのは、実親子と養子が一枚の図に同居しているからです。ここで、家系図における養子の表し方をおさらいしておきましょう。

  • 実親子は実線 — 血のつながりのある親子は、実線で結びます。魯山人と父・清操の関係です。
  • 養子は破線 — 養子縁組による親子は、破線で結んで実親子と区別します。魯山人と養父・福田武造の関係です。

この「実線=実親子/破線=養子」の描き分けは、魯山人のような歴史上の人物だけでなく、ご自身の家系図づくりでもそのまま役立ちます。養子・婿養子が登場する家系は決して珍しくありません。記号や線の意味は家系図の記号・線の意味でも図解しています。

北大路魯山人の人物像|陶芸・書・料理を究めた芸術家

養子として育った房次郎は、まず書と篆刻で頭角をあらわします。やがて料理と器の世界に深く分け入り、自ら器を焼き、料亭の運営にもたずさわりました。「器は料理の着物」という言葉に表れるように、食と器を一体でとらえる美意識は、いまも高く評価されています。

波乱の生い立ちから出発し、複数の芸術分野を横断して名を残した魯山人。その歩みを家系図で振り返ると、「生まれた家」と「育った家」という二つの起点があったことが見えてきます。名家の系図づくりに関心があれば、家を継ぐ人々の関係を整理した有名人・名家の家系図まとめもあわせてどうぞ。

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北大路魯山人の子孫は現在も続いている?|孫は陶芸家

魯山人は生涯に何度も結婚と離別を重ね、家庭の面では波乱の多い人でした。それでも北大路の家は途切れず、現在は孫の世代が陶芸家として魯山人の仕事を受け継いでいます。

孫にあたる北大路泰嗣(きたおおじ ひろし)さんは、昭和23年(1948年)に鎌倉で生まれ、名は魯山人自身がつけたと伝えられます。荒川豊蔵のもとで陶芸を学び、平成4年(1992年)に无疆窯を開きました。織部・志野・黄瀬戸といった魯山人が好んだ様式で作陶を続けるとともに、魯山人作品の鑑定にも携わっています。

魯山人自身も、生まれた家の姓(北大路)、養家の姓(福田)、そして後年の号(魯山人)を使い分けた人でした。一人の人物に複数の名があるという点では、欣也さんの芸名と同じ問題が家系図の上で起きます。人物欄には最終的に名乗った名を書き、旧姓・幼名・号は注記に回す。この整理をしておくと、資料をつなぎ合わせたときに同一人物を二人分置いてしまう事故を防げます。

養子を含む家系図を描いてみるなら、作成ツールが使えます。本サイトの家系図エディタは、実親子を実線、養子を破線で描き分けられ、人物を足すと線が自動でつながります。魯山人のように二つの家にまたがる関係でも、一枚の図にすっきりまとめられます。登録は不要で、ブラウザですぐに始められます。

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養子のいる家系図を描いたあとにやること

魯山人のように実家と養家をまたぐ人物が家系図に登場する場合、線を引き終えたあとに次を確認しておくと整理が崩れません。

  • 実親子(実線)と養子(破線)が図の中で見分けやすい配置になっているか見直す
  • 婿養子のように婚姻と養子縁組が重なる人物がいないか、他の親族もあわせて確認する
  • 改姓・改名(本名と後年の号など)がある人物には、どちらの名を図に残すか決めておく
  • 実家・養家の双方の続柄を、あとで見返す家族にも分かるよう注記を添えておく

この4点を押さえておけば、養子や改姓を含む家系図も、あとから見返したときに関係を追いやすくなります。

よくある質問

北大路魯山人の本名は何ですか?
本名は北大路房次郎(きたおおじ ふさじろう)です。「魯山人」は後年に用いた号で、京都・上賀茂神社の社家である北大路家に生まれました。幼くして木版師・福田武造の養子となった時期には、福田房次郎と名乗っています。
北大路魯山人はなぜ養子に出されたのですか?
父・北大路清操が魯山人の生まれたころに世を去り、母も家を離れたため、生家にとどまることができなかったと伝えられています。数えで6歳のころに木版師・福田武造の養子となりました。細部には諸説があります。
北大路魯山人の子孫は現在いますか?
孫にあたる北大路泰嗣さんが陶芸家として活動しています。昭和23年に鎌倉で生まれ、名は魯山人自身がつけたと伝えられます。荒川豊蔵のもとで学び、平成4年に无疆窯を開きました。織部・志野・黄瀬戸など魯山人が好んだ様式で作陶を続け、魯山人作品の鑑定にも携わっています。
俳優の北大路欣也は北大路魯山人の子孫ですか?
いいえ、血縁関係はありません。北大路欣也さんは俳優・市川右太衛門さんの次男で、「北大路」は芸名です。父の邸宅が京都市内の北大路にあり「北大路の御大」と呼ばれていたことに由来します。家系図では、芸名や号は人物欄に併記できても、家のつながりを示す線にはなりません。
家系図で養子はどう描きますか?
養子は破線で結び、実親子(実線)と区別して描きます。魯山人の家系図では、実父・北大路清操との関係は実線、養父・福田武造との関係は破線で表します。結婚を伴って家に入る婿養子は、配偶者線(二重線)と養子線(破線)を併用します。
北大路魯山人の家系図はどうやって作れますか?
実親子を実線、養子を破線で結ぶ基本の記法で描けます。男性は□、女性は○で表します。家系図エディタを使えば、人物を足すだけで線が自動でつながるため、魯山人のように実家と養家にまたがる関係も一枚に整理できます。登録不要で、PDFや画像に書き出せます。
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祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。