伊達政宗の家系図|父・輝宗から仙台藩・宇和島藩まで図解で解説

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家系図続柄
伊達政宗の家系図|父・輝宗から仙台藩・宇和島藩まで図解で解説

家督を継ぐ「嫡子(ちゃくし)」とは、正室(本妻)が生んだ子を指し、必ずしも生まれた順番どおりの長男を意味しません。伊達政宗の家系図はまさにこの点が誤解されやすく、長男の秀宗ではなく、正室・愛姫が生んだ次男の忠宗が仙台藩の家督を継いでいます。政宗自身も父・輝宗の嫡男として家督を継いだ人物で、父母・弟との確執や、二つの藩に分かれた子どもたちまでを、一枚の系図でたどります。

伊達政宗の家系図|輝宗・政宗から子どもたちまで一目でわかる系図

まずは、政宗の祖父・晴宗を起点に、父・輝宗から政宗、そしてその子どもたちへと続く本流を簡易系図で見てみましょう。縦の実線は実の親子、横の二重線は夫婦のつながりを表します。

伊達政宗 直系の系図
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伊達政宗を中心に、父・輝宗から子どもたちまでをたどった系図。長男・秀宗は宇和島藩を開き、次男・忠宗が仙台藩を継ぎました。長女・五郎八姫は徳川家康の六男・松平忠輝に嫁ぎましたが、忠輝の改易にともない離縁しています(二重斜線)。二重枠は故人を表します。

家系図のかたちで大きな流れを追うと、次のように整理できます。

  • 輝宗から政宗へ — 伊達家は奥州の名門で、政宗は父・輝宗の嫡男として家督を継ぎました。
  • 政宗の二つの顔 — 政宗は奥州をほぼ統一する勢いを見せた一方、豊臣秀吉・徳川家康に従い、仙台藩六十二万石の礎を築きました。
  • 二つの藩に分かれた子ども — 長男・秀宗は伊予・宇和島藩を、次男・忠宗は本家の仙台藩を継ぎ、政宗の家は二つの大名家として続きました。

以下では、この系図を「父母と兄弟」「妻子と子孫」の順に、もう少しくわしく見ていきます。

伊達政宗の父母と兄弟|輝宗・義姫と弟・小次郎

伊達政宗の家系図|父・輝宗から仙台藩・宇和島藩まで図解

伊達政宗の家系図は、奥州の有力大名・伊達家の家督争いとともに語られます。政宗の父母と弟の関係を押さえておきましょう。

続柄 人物(読み) 主な事績
伊達輝宗(てるむね) 政宗に早く家督を譲った。のちに非業の死を遂げる
義姫(よしひめ) 出羽の最上義光の妹。政宗の母
伊達小次郎(こじろう) 政宗の弟。家督争いのなかで命を落とした

父・輝宗は、敵対していた二本松義継にとらえられた際、政宗もろともに討たせよと命じたとも伝えられ、政宗の目の前で命を落としたとされます。父の死を経て、政宗は奥州統一へと突き進んでいきました。

伊達政宗の妻子|愛姫と仙台藩・宇和島藩に分かれた子孫

伊達政宗の家系図で見逃せないのが、子どもたちが二つの大名家に分かれた点です。政宗の妻と主な子どもを見てみましょう。

  • 正室・愛姫 — 三春城主・田村清顕の娘で、政宗の正室。次男・忠宗や長女・五郎八姫の母にあたります。
  • 次男・伊達忠宗 — 愛姫が生んだ嫡子で、政宗のあとを継いで仙台藩二代藩主となりました。仙台藩の制度を整え、「守成の名君」とも呼ばれます。
  • 長男・伊達秀宗 — 政宗の長男ながら、のちに伊予・宇和島十万石を与えられ、宇和島藩の初代藩主となりました。
  • 長女・五郎八姫 — 徳川家康の六男・松平忠輝に嫁ぎました。のちに忠輝が改易されると離縁し、仙台へ戻っています。

こうして見ると、伊達政宗の家系図は「独眼竜・政宗一代」で終わるものではありません。本家の仙台藩と分家の宇和島藩という二つの流れが、政宗の子どもたちから次の時代へと続いていきました。

伊達政宗の家系図を自分で作る方法|標準的な関係線で再現

ここまで見てきたように、伊達政宗の家系図は、親子・兄弟・婚姻といったつながりが、家の運命を大きく左右しました。こうした関係は、文字の一覧より、線で結んだ家系図にすると一気に分かりやすくなります。

家系図をきれいに描くコツは、関係ごとに線を引き分けることです。本サイトでは、系統図で広く使われる標準的な記法に沿って、次のように線を使い分けることをおすすめしています。

関係 線の種類 書き方のポイント
親子(実子) 実線 夫婦を結ぶ線の中点から、子へ下ろします
配偶者(婚姻) 二重線 夫婦を横に並べ、二重の横線で結びます
離婚(元配偶者) 二重斜線 配偶者の二重線に斜線を重ね、離縁を示します
養子 破線 実の親子(実線)と区別するため、破線で結びます

伊達家のように、子がそれぞれ別の藩へ分かれた一族は、兄弟を横に並べ、婚姻を二重線で結ぶと、誰がどの家を継いだのかまで一目で追えるようになります。五郎八姫と松平忠輝のように、のちに別れた夫婦は二重斜線で表すと、関係の変化までひと目で分かります。

手書きでも描けますが、人物が増えると線の引き直しが大変です。オンラインの家系図ツールやテンプレートを使えば、配置や線をあとから自由に直せて、印刷や共有もかんたんです。本サイトの家系図エディタは、ここで紹介した関係線(実線・二重線・二重斜線・破線)をそのまま選んで引けるように作られています。和紙・免許状風のテンプレートも用意していますので、歴史好きの自由研究から、ご自身の家系図づくりまで幅広く使えます。登録は不要です。

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伊達政宗の家系図まとめ|嫡子と本家・分家の見方

伊達政宗の家系図を読むときに大切なのは、「誰が長男か」ではなく「誰が正室の子として本家を継いだか」という軸です。秀宗のように長男でも分家に回った例、忠宗のように次男でも本家を継いだ例があるように、武家の家督は生まれた順よりも母の身分(正室か側室か)で決まることが少なくありませんでした。系図を作る際は、正室・側室の別と、実際に継いだ家(本家・分家)を分けて書き込んでおくと、あとから見返しても誰がどの家を継いだのか迷わずに済みます。ほかの武将とのつながりを見たい方は、あわせて戦国武将の家系図まとめもご覧ください。

よくある質問

伊達政宗の子孫は今も続いていますか?
政宗が築いた仙台藩は、次男・忠宗の流れが幕末まで大名家として続きました。長男・秀宗が開いた宇和島藩も別の大名家として続いています。現在も伊達家の子孫の方々が伊達家ゆかりの活動に携わっていることが知られています。
伊達政宗の正室は誰ですか?
正室は愛姫(めごひめ)です。三春城主・田村清顕の娘で、のちに陽徳院と呼ばれました。仙台藩二代藩主となる忠宗や、長女・五郎八姫の母にあたります。
なぜ長男ではなく次男が仙台藩を継いだのですか?
次男・忠宗は正室・愛姫が生んだ嫡子であったため、本家の仙台藩を継ぎました。長男・秀宗は別に伊予・宇和島藩を与えられ、伊達家は仙台の本家と宇和島の分家に分かれました。武家では、長男がいても正室の子が本家を継ぐ例がよく見られます。
五郎八姫と松平忠輝はどうなったのですか?
政宗の長女・五郎八姫は、徳川家康の六男・松平忠輝に嫁ぎました。しかし忠輝が改易(領地没収)となったことにともない離縁し、仙台へ戻りました。家系図では、こうした関係の変化を二重斜線(離縁)で表すと分かりやすくなります。
伊達政宗の弟・小次郎はどうなったのですか?
政宗には弟・小次郎がいました。母・義姫が小次郎を当主に立てようとしたとも伝えられ、家督争いのなかで小次郎は政宗の側に討たれたとされます。ただし、この経緯には諸説があります。

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家系図マニア

祖父の連絡先を探して戸籍をたどった経験から、家系図を作りはじめました。家族のつながりも、歴史上の一族や物語の関係図も、自分の手でたどれる入口にしたいと考えて個人で運営しています。行政書士・司法書士などの資格は持たないため、法的な判断が必要な場合は専門家への相談をおすすめしています。